「原点」と「頂点」

私と息子のテニスレッスン日記が中心です。あと、子育ての事、キャンプの事、そして車(メガーヌR.S. CUP-S、ミニ ジョン・クーパー1000)の事も時々。

たわごと

ここ数年、消費者として思う事なのですが・・・。

「行間を読んでくれない人が多いなー」ってこと。



分かり易く説明する為のあくまで例え話ですが、車検に出した愛車が戻ってきたときに、無かったはずの傷がついていたり、何かが壊れていたりしたとします。



すると、


A: とぼける。
B: 修理だけする。
C: 非を認め、修理する。


ざっとこんな感じですか。




Aは当然のことながら「論外」ですが、傷が小さかったりすると案外あったりします・・。逆に小さな傷や汚れなどの方が、どう思って扱っているのかの普段の姿勢が出るように思います。 


Bは良くあるパターンですよね。修理するということは、傷自体の非は認めたことになるのですが、「修理すればそれでOK」っていう姿勢が見え隠れしています。


Cは本来なら当然あるべき形かと思います。そもそも預かりものに対して粗末な扱いをしてしまう考え方や姿勢を反省し、相手に与えてしまった精神的なストレ スなどを詫びる。修理に関しても、あくまで自己の非であるので、通常の範囲ではなく例え休日返上であっても対応する(姿勢)。




当たり前としてCを望みたいところですが、なかなかそうはいきませんよね・・・。
こちらが求め過ぎのような気がして、自己嫌悪に陥ってしまう事もあります。




声を荒げて怒れば、その表面の現象だけを見て謝り、本質を理解しない。
穏やかに怒れば、謝りすらしなくて流される。



傷はもとより、その粗末な扱いに怒っているんですよ。



ベストを尽くした上でのミスによる傷や故障なら、それは仕方がないしそう怒るものでもないです。ただ、起こるべくして起こっていることが多いのが残念なところです。







福野礼一郎さんの「クルマはかくして作られる」に書いてありましたが、


・強制的で理不尽な労働は決して高い品質を生まない。
・モノ作りの現場において、作業者の不満は必ず製品の品質を低下させる。
・製品が優れているなら、作業者が誰ひとり手を抜かなかった証明である。


正に、そういうことだと思います。




行き過ぎた分業の弊害、組織ルールの弊害、安さを求め過ぎる消費者の弊害・・・様々な要因はあるんでしょうね。



歳をとってきて、良いお金の使い方、すなわち「落とすべきところに落としたい」と思うようになってきました。





そうそう、良い話も。

(その1)
先日うちの自動食洗機のリコール(停止やショート)がかかりました。

実際、何度が停止することがあり全く使用していなかったのですが、
万が一ショートして火災にでもなってはいけないと思い対応して頂きました。


TEL時点では型番などからは対象になっていたのですが、現物を見ると実際は対象外だったようです。


それでも、サービスの方がログから使用していないことが分かると、
「良い商品なので是非使ってやってください!」と、事細かに使い方のコツなを伝授し、メンテまでして帰ってくれださいました。


自社製品に誇りを持っているんだな〜っと関心しきりでした。




(その2)
先日診てもらったジョン(ミニ1000)も絶好調です!!!
まだまだ伸びしろがありそうで、楽しみです!!!



(その3)
ピカソは・・・これから! きっと明るい未来が待ってるさ!




(おまけ)
逆に、某企業のスチームオーブンの修理では「高いから壊れない訳ではない」、「安いものでも高いものでも同じように壊れます」と暴言を吐かれたこともあり ます。昔からその企業の製品は好んで購入していたのですが、それ以来購入を止めました。ちなみに、現在その企業は・・・えらいことになってしまっていま す・・・。







(完)